生きるのがたのしい

日々の気になったことを取り留めもなく語る

少年漫画やラノベの読み過ぎによる「才能至上主義思考」の弊害(※個人の体験です)

ラインバブル2(っていうパズルアプリ)にハマっています。KEYです。
LINEポイント貰えるキャンペーンやってたんで小銭欲しさにインストールしたんですけど、他のアプリはだいたいポイント貰ったら即アンインストールしていたのが、これはどうもハマってしまった。個人的にはLINEのキャラクターってあんまり絵柄が好きじゃないんですけど、シンプルでほどほどに思考が必要で、でも適当にやってても勝てる時は勝てるっていうヌルいゲーム性が僕に合ってたんですね。
プレイするのに必要な炎(ツムツムで言うハート)が30分に1つしか溜まらない上、周囲では僕しかプレイしてないので炎を貰うこともできないという孤独ですが、それがまたいい塩梅に時間泥棒防止にもなっています。延々プレイできたら延々やってしまいますからね。怖い。

ところでラインバブル2は補助アイテムとかが使えたりするんですが、僕は今のところアイテム不使用縛りでやっています。
そもそもアイテム類の仕組みを理解するのがめんどくさい、というズボラ思考と、『アイテムに頼らずに腕だけでクリアできたほうが強くてクール』っていうなんとなくの感覚からなんですけど。

で、表題。

僕、漫画ばっか読んで育ったからか、ジャンプとかの主人公が持っているような「選ばれし者の力」みたいなのを無意識に信仰しているところがあって、練習しなくても生まれつきの能力で出来るのが才能だと思ってたしすぐれた作品にはなんかこう万人に訴えるパワーがあるんじゃないかと思ってたんですよね。
中2病の名残が残っているともいえますが、ライトノベルの主人公によくいる「生まれながらの才能」とか「努力しなくても超天才だからすごい」とか、そういうの大好きだったんですよ。てか好きなんですよ。
才能が努力を踏みにじって無双するタイプの作品が好きだったんですね。ガンダムSeedのキラとか性格クソ悪いですけど、あの、ああいう主人公大好きなんですよね。

実際そんなのは稀有なもんで、大抵の才能や感受性は学習と訓練の積み重ねでしか得られないんだとかいう当たり前の事に気づいたのは恥ずかしながら結構遅くって
あまり努力してなにか成し遂げるとかいう経験を重ねないまま大人になってしまった結果だと思うんですが。

そうじゃなくて、才能って努力の延長線上にあるものなんだよ、って教えてくれたのは、家族でも友人でも会社でもなくオンラインゲームでした。
まあ、具体的に言うとFF14なんですけど。

僕はゲームが下手です。子供の頃から(あ、こういう判断力とか脳の働きが自分は人より劣ってるな…)と自覚しているところもあり、ゲームの才能は平均より下だと思います。
だから人よりちょっと飲み込みが遅いところもあった。でも、ちゃんと練習を重ねればできた。装備をちゃんと整えて、知識を入れて、経験を積めば、怒られない程度にはできた。経験を積んでいけばはじめていくダンジョンでも前よりうまくやれた。そうして周りを見ると、ほとんどの「巧い人」ってのは、練習量の程度の差こそあれ、「普通に頑張っている普通の人なんだな」ってことがやっとわかった。
っていうか天才だろうが凡才だろうが達成のためにあらゆる手を尽くすことは当たり前で…何言ってるかわからなくなってきたな。

とにかく、小学生でも知っているような当たり前の事を、まさかのゲーム世界で思い知ってすごくこう…ああ…!ってなったというか。ホント!

頑張らないとできないことからは逃げ続けて、頑張らなくてもできることだけで生きてきた。三つ子の魂百までと言いまして、この逃げ腰スタンスは死ぬまで治らないんじゃないかとも思うんですが。

才能がなくても「人並み」は目指せる。そのために足りない力を他のパーツで補うことは決して恥ずかしいことじゃない。
そして「人並み」にできたら実は結構すごいし重宝されるんだなって手応え。

人生で大切なこと、漫画やアニメやゲームから学んだっていいですよね。ちゃんと現実にフィードバックされるかが大事なのであって。少し、挑戦する年にしてみたいなと思っています。